時代とともに歩んできた金華楼

宮城県牡鹿郡女川町

時代とともに歩んできた金華楼

Since 1950 Onagawa

1950年。
戦後の混乱がまだ色濃く残り、栄養の行き届いた食事が十分に得られない時代でした。
その一方で、「特需景気」をきっかけに日本経済は急速に動き始め、
社会全体が混乱と希望を同時に抱えながら、復興へと向かう大きな転機を迎えていました。

そんな激動のさなか、女川の地に、一軒の中華料理店が静かにのれんを掲げます。
それが、初代・鈴木金六が始めた金華楼です。

1950年代、日本の中華料理は、本場の味をそのまま写すのではなく、
日本人の味覚や暮らしに寄り添うかたちで独自の進化を遂げ、
少しずつ、日常の食として広がっていった時代でもありました。

金六が大切にしていたのは、流行でも技巧でもありません。
食事の時間が、束の間でも心をほどき、
人と人のあいだに自然と会話が生まれること。
その場に流れる空気そのものが、温かなものであることでした。

その思いは、言葉として語られたわけではありません。
ただ、同じ味と同じ時間が、静かに重ねられていきました。

二代目・鈴木博は、父の思いを受け継ぎ、店に立ち続けました。
変わらない距離感と居心地を守りながら、
金華楼は、町の中で「説明のいらない場所」になっていきます。

三代目・鈴木弘孝は、受けつがれてきた時間の重みと向き合いながら、
時代の変化を見据え、店の歩みを次へとつないできました。
変えるべきものと、変えてはいけないもの。
その選択を重ねながら、金華楼は在り続けてきました。


そして四代目・鈴木康仁の代。
2011年3月11日、東日本大震災が女川を襲います。
金華楼は大きな被害を受け、長く続いてきた店の場所を失いました。

町の風景は一変し、それまで当たり前だった日常は、突然途切れます。
それでも、店を終わらせるという選択はありませんでした。
失われたのは建物であって、受けつがれてきた味や時間、その思いではない。
そう考え、もう一度、金華楼を立ち上げる道を選びました。

場所も、形も変わりながら。
それでも、人が集い、同じ時間を過ごせる場所であること。
その積み重ねが、金華楼の時間となってきました。

創業75周年。これまでのご支援に、心より感謝いたします。

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